十三位『タタリ』が三咲町において消滅してから・・・三ヶ月が間も無く過ぎ去ろうとしていた。
二『最後の日常』
この間『六王権』の消息は再び途絶え、『聖堂教会』、『魔術協会』、そして志貴や士郎『裏七夜』による必死の捜索にも関わらず、足取りも掴む事は出来なかった。
その為か『魔術協会』に中弛みが生じ始めた。
元々、『魔術協会』は『六王権』捜索には最も消極的で、周囲に半ば押される様に『六王権』捜索を始めたに過ぎない。
これで『六王権』が出現すればそれなりに気を張ったであろうが、出現もせず、彼らから見れば実態の無い陽炎を追い掛けている様な徒労を覚え始めたのか、捜索部隊を次々と撤収し始めた。
もちろん完全には撤収していないが、その規模は小さく、英国本島か良くてもフランスまでを把握できる規模しか存在していない。
これには無論ゼルレッチや『聖堂教会』が抗議を上げるが彼らはそれを無視、あまつさえ『これ以上の協力を求めるのならそれ相応の代価を』と、志貴と士郎両名の無条件での引き渡しを要求する始末。
無論そのような要求等双方ともに(前者は感情的な理由から、後者は純粋に利害のみで)飲めるはずも無く、結局協会は事実上無視する形で捜索は続行される事になった。
だが、広大な欧州を捜索する為には現在の規模はあまりにも少な過ぎ、時間だけがいたずらに過ぎて行くだけだった。
そんな中四月には、士郎と凛は高校を卒業し、凛は当初の予定通り『時計塔』に留学する為に日本を出立した。
「ごめん士郎、本当なら私も色々と手伝わないといけないんだけど・・・」
出発直前、空港のロビーで凛は見送りに来た士郎に申し訳無さそうに告げる。
「仕方ないさ。それよりも頑張れよ凛」
そう笑ってやり過ごす士郎。
「それとアルトリア、凛の事よろしく頼むな」
「無論ですシロウ。リンの事は何も心配要りません」
その言葉に胸を張るアルトリア。
立場上、凛の使い魔として共に英国に向かう事になったアルトリアも、それなりに感慨深げであった。
やはり向かう先は彼女の故郷なのだからなのだろう。
だが、なぜか急に不安そうな表情を作ると士郎に切実な表情で訴える。
「ですが・・・シロウ・・・出来れば週一日でも構いませんので、シロウの料理を空輸してくれれば助かるのですが」
そう、アルトリアにとって唯一無二の不安はそれ。
故郷の料理、それは美食家(自称)を名乗るアルトリアにとって苦痛の思い出でしかない。
その印象は聞かれればただ一言『雑でした・・・』で済む、決め細やかな士郎のそれとは地球と月ほどの差もある、料理とは名ばかりの物体の数々。
それでも時代も移ろい、少しは良くなったのではと希望を抱いたのだが・・・凛や士郎から、現代の英国の食事事情を聞き、わずかな・・・それこそ蚊の涙ほどの希望も絶たれた。
無論かつてのそれとは比較にならない程上昇した筈だが、どちらにとっても不幸な事に、アルトリアが今まで食べてきた環境が更に上だった。
まあ、ロンドンにも外国食のレストランもあるだろうが、わずか三ヶ月の間にすっかり士郎が作る数々の絶品料理の味を覚えてしまったアルトリアの舌を満足させられる料理を出す所など、それこそ高級レストラン位のもの。
勿論その様な所毎日行ける訳もない、つまり大半の日は郷土の料理を食せなければならない。
これで士郎の料理すらこの留学中一度も食べられないとなれば、即日ロンドンはおろか、栄光の大英帝国はかつて、この地に君臨した偉大なる王の手で滅ぼされかねなかった。
「わ、判ってる。師匠ないし志貴の奴に頼むし、俺もちょくちょくそっちに行く筈だから」
そのオーラを感じ取ったのか引き攣り気味に頷く士郎。
ありとあらゆる手段を用いてでも、アルトリアに料理を届けなければならないだろう。
『六王権』と言う脅威以前に、食に餓えた暴君の猛威を防がなければならない。
「はい、楽しみにしていますシロウ」
「姉さん、そろそろ時間が」
「そうね。じゃあ行って来るわね。桜、冬木の方お願いね」
「はい任せて下さい」
「帰って来たら、あの性悪シスターに乗っ取られていたなんて無様な結果にならないでよ」
「失礼ですね先輩。御し易い相手を膝下にねじ伏せても、面白くないじゃないですか」
「なあ凛、カレン・・・二人して桜のこと信じてないのか?」
見れば桜は空港ロビーの片隅で黒いオーラをまとっていじけていた。
それを必死にメドゥーサが慰めている。
「そんな訳ないでしょ。私は桜の事信じているわよ・・・まあ力不足だとは思うけど」
「本当に失礼ですね衛宮士郎。私は相手としては役者不足であるだけと言っているだけです」
台詞だけ見ればとてもそうは思えない。
そのような紆余曲折もあり、凛はアルトリア共にロンドンに旅立って行った。
そしてロンドンに着いた凛だったが、彼女を最初に待ち受けていたのは、魔術協会上層部による取調べだった。
何しろ、かの『錬剣師』が彼女の管理地に住んでいたにもかかわらず、それを察知できなかったのだ。
一部には『トオサカは『錬剣師』に買収された』と言う噂まで出る始末。
それ故に取り調べは苛烈を極めるかに思えたが、大師父ゼルレッチの鶴の一声でどうにか無罪放免。
そうして、ロンドンでの生活が始まった訳である。
「ただいま」
「リンご苦労様でした。先程シロウより料理が空輸されてきました」
そんなロンドンの生活も慣れ始めたある日の夜、『時計塔』から帰ってきた凛をアルトリアが迎える。
「そう。それにしてもまめよね。週に一日所か週三日、おまけに食材も差し入れてくれるし・・・でも、士郎には本当世話になりっぱなしよね」
そう言って凛は自分の分の食事を口にする。
ちなみにアルトリアは既に九割がた食べ終えている。
「全くです。シロウの援助がなければ、今頃私達は餓死していた所です」
感慨深くアルトリアが呟く。
ロンドンに着てから凛の名前は常に成績のトップクラスに存在していた。
しかし、そんな秀才としての名と同等、もしくはそれ以上に凛の名はトラブルメーカーとしても知れ渡っていた。
何しろ此方に着てから一月にもまだ満たないと言うのに損害賠償の請求は十件を超えている。
小さいものは備品の破壊、大きいものでは教室丸ごとの弁償まで。
と言うのも凛と致命的なまでに反りの合わない一人の新入生が原因だった。
その名はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。
冬木の『聖杯戦争』に参戦し、無様な敗北を喫してから日本と遠坂を逆恨みしている北欧フィンランドに居を構える、名門魔道家の令嬢。
入学前、寄宿寮の下見の際に凛とルヴィアは磁石のN極とS極の如く引き寄せられ、その後は同極の如く反発しあい受付ロビーを破壊するという前代未聞の事件を起こした。
そしてこの『時計塔』に入学してからも、どう言う訳か同じ講義にかち合わせる事が多々あり、その度に衝突して備品や講義室自体を破壊し、その都度、損害賠償が請求される。
ルヴィアは実家より直ぐに支払われているのだが、凛の方はといえば・・・意外な事に士郎が支払っていた。
既に合計金額は何百万の領域に入っているが、士郎は連絡を受けるや即座に対応してきた。
「本当よ。士郎の奴『今まで潜りでいたからその家賃代わりでな』なんて言って気前良くぽんぽん出すのよ・・・あいつあれほどの大金持ちだなんて知らなかったわ」
何しろバゼットの義手もバゼット本人は一銭も払わず、士郎が全額支払っている。
凛は大金持ちと言ったが正確には『大富豪』の領域に入る。
実は・・・マカオの銀行にある士郎の裏口座(士郎が『裏七夜』を始めとした魔術関連の仕事で稼いだ金銭を預けている)には預金に加え、相場が崩れにくい金や貴金属の類が眠っており、推定一千万ドル(無論USの方である)以上が既に貯金されている。
しかも現在進行形でこの資産は増加の一途を辿っていた。
何故ここまでの資産を保有しているかについては別の話となるので割愛させて頂く。
「そういえばリン、今日は何故帰りが遅くなったのですか?確か今日はルヴィアゼリッタとの授業は無いと記憶していたはずでしたが」
アルトリアの中では帰りが遅い=またもや乱闘騒ぎを起こしたという図式が成り立っていた。
しかし、それに対する凛の答えは意外なものだった。
「ああ、それ?実はバルトメロイの尋問を受けてね」
「バルトメロイと言いますとあの?」
凛の口から出てきた名前にアルトリアの表情が曇る。
「そう、時計塔院長補佐にして現在最高峰の魔術師、『ザ・クィーン』よ」
「またシロウの件ですか?ですがシロウについては魔法使いによって不問とされた筈では」
「いいえ、今回はバルトメロイ個人が士郎について・・・と言うより衛宮について聞きたがっていたのよ」
「エミヤについて?」
話は回想に移る。
今日の授業も終わり、課題のレポートの提出も終わった凛を待ち構えていたのは、バルトメロイ・ローレライ指揮下の聖歌隊『クロンの大隊』の隊員だった。
「ミス・リン=トオサカ?」
「ええ、そうだけど?」
「バルトメロイが貴女に話しがあるとの事です。お時間宜しいでしょうか?」
表面丁重なお誘いであったが、その実情は強引な勧誘に近い。
だが、断るのも無駄だと割り切った凛に出来る事はと言えばせいぜい、
「判りました。お誘いであるからには美味しいお茶を期待させていただきましょうか?」
可能な限りの嫌味を言う事位だった。
こうして案内と言うより連行されて・・・凛の前後を大隊員が挟む形で歩いている・・・連れてこられたのは時計塔の離れに存在する洋館だった。
この洋館自体がバルトメロイ家所有のものである事を後日凛は聞く事になる。
そしてそのなかの一室の前に連れてこられる。
「失礼いたします。バルトメロイ、リン=トオサカをお連れしました」
「ご苦労様です」
その言葉と同時にドアが開かれサロンに招かれる。
そこで優雅に紅茶を飲んでいたのは、かつて『代弁者』として時計塔に訪れた士郎と対峙した時の姿と同じ服装のバルトメロイ・ローレライだった。
「急なお呼び立てに快くお受け頂いた事、心より感謝いたします。ミストオサカ」
口調は丁寧だったが、その言葉はおろか表情は凍てついたものだった。
「それで現在最高峰の魔術師(ザ・クィーン)が一介の生徒に過ぎない私に何の用でしょうか?」
下手に弱みを見せれば負けと受け止めたのか、凛は表面平然と受け答える。
内心は冷や汗でびっしょりであったが。
「話とは他でもありません。『錬剣師』についてです」
ああと、凛は内心で頷く。
話があると聞いた時より、そんな予感がしていた。
かつて士郎は、衆目の前で彼女の服を打ち砕いた過去がある。
プライドの高い彼女が、この仕打ちに泣き寝入りするとはとても思えなかった。
現にあの時報復を誓ったのだから。
「申し訳ありませんが、彼について話せる事は」
その言葉を遮りバルトメロイは意外な事を口にした。
「『錬剣師』・・・たしか本名はシロウ・エミヤとの事ですね?」
「そうですわね」
「本人の事を聞きたいのではありません」
「??では一体『錬剣師』の何をお聞きしたいのですか?」
「彼の家・・・エミヤ家について聞きたいのです」
「は?」
ぽかんと口を開けて呆ける。
どう言う事なのか意味がわからず不審げにバルトメロイを見るだけだった。
「失礼ですが衛宮家の何を?」
「何でもです。ああ、彼以外の一族が何処にいるのかと、エミヤ家の領地が何処なのかが判れば言う事は無いですね」
そう言われて凛は初めて、士郎と既に故人となった養父切嗣、そして切嗣の娘であるイリヤ以外では衛宮の人間を知らない事に気づいた。
そして、彼女とて衛宮家について知っている事などたかが知れている。
知っている事は士郎の義父でありイリヤの実父衛宮切嗣が生前『魔術師殺し』と呼ばれ危険視され、それ以上に堕ちた魔術師として白眼視されていたと言う事、そして第四次聖杯戦争にアインツベルンの傭兵としてセイバー=アルトリアのマスターとして参戦し、『アンリ・マユ』復活を防ぐ為聖杯を破壊した位に過ぎない
「どうされましたか?ミス・トオサカ?」
「・・・いえ・・・私の知る範囲でも良ければ」
そう前置きして凛は自分の知る事を全て話す。
いや、正確には話そうとしたが、その途中でバルトメロイに止められた。
「判りました結構です」
「へ?まだ途中なんですが」
「貴女の情報の殆どはアインツベルン家のそれと重なりますので。早い話、貴女もエミヤの事は殆ど判らない。そう言う事でしょう?」
「っ・・・」
癪に障るが、その通りであったのであえて無言を通す。
「やはり『錬剣師』本人に聞くしかないようですね。有意義な時間でした。お送りいたしましょう」
そう言い、迎えを用意しようとするバルトメロイに凛も立ち上がりその申し出を拒絶する。
「いえ、結構です。自分で帰れますので。それと一つ質問宜しいでしょうか?現在最高峰の魔術師(ザ・クィーン)」
「何でしょうか?」
「貴女はエミヤの事を調べてどうしようと言うのですか?」
その次に発したバルトメロイの言葉とその表情を見た瞬間、凛の全身に戦慄が走った。
バルトメロイの口調は冷たく、残虐な愉悦に満ち溢れ、その表情は憤怒・・・いや、憎悪すらも満ち溢れさせて、宣言した。
「決まっています。『錬剣師』を含めてエミヤの名を持つ者を・・・エミヤを継ぐ人間達をこの世から根絶やしにする為です」
「エミヤを・・・根絶やしに?」
思わぬ事態にアルトリアですら呆然とした。
「ええバルトメロイはそう宣言したわ」
「一体シロウはバルトメロイに何を・・・」
「そこまではわからないわよ。でも士郎がバルトメロイに何かしたとしたら以前の『時計塔』での出来事以外に考えられないわ。士郎もあの件以外でバルトメロイと接触した事はないって言っているし」
「ですがリン、バルトメロイの発言は過激を超えて危険です。エミヤを根絶やしにするなど、どう考えても行き過ぎです」
確かにただ一人が行った事(それも限りなく正当防衛に近い)に対して一族根絶やしなど、どの様な理由をつけても行き過ぎと解釈するしかない。
「ええ、だからむしろ士郎の件とはまた別の意味で、衛宮はバルトメロイに恨みを買っていると思うのよ」
「なるほど・・・つまり過去のエミヤの人間とバルトメロイに何かあったと」
「そう考えるのが一番自然ね」
「そうなると最有力はキリツグですね。アイリスフィールという素晴らしい女性を妻としていながら、部下などと称して別の女性を連れていたほどです。過去においてバルトメロイにちょっかいを出していたとしても、私は何の疑問も持ちません」
故人に対して、あまりにもむごい断言をしているアルトリアだった。
だが、娘のイリヤに聞いても、おそらく真っ先に父親を疑っただろう。
「そ、そうなの・・・つくづく思うけど士郎の女殺しの性質って養父の影響なのかしら?」
「いえ、むしろシロウ本人の性質が多分に強く出ていると言うべきでしょう。キリツグは積極的に女性を口説き落とす方だとアイリスフィールから聞いていますが、シロウの場合は、ある意味女性が自分から近寄り、自分から落ちる傾向がありますから」
「あんた、随分良く見ているわね・・・」
実際、自分から士郎に接近し、士郎に惚れてしまった凛としてはぐうの音も出ない。
「当然です。確かに現在は私のマスターはリン、貴女です。ですが、それとは別に私が剣を捧げるのはシロウを置いて他に無いのですから」
堂々と宣言するアルトリアだったがその台詞とは裏腹に、その表情は穏やかなもの・・・それ所か頬はやや赤みが増している・・・であった。
(どちらかと言えばアルトリアもその口よね)
内心で凛はそう呟いた。
「そういえばアルトリア、貴女は士郎の義父から衛宮の事は聞かなかったの?彼が貴女のマスターだったんでしょう?」
凛の質問にアルトリアは頭を振る。
「残念ですがリン、私とキリツグとは相性は最悪でした。アイリスフィールのサポートが無ければ早々に敗れていたと思えるほど。会話すら令呪での命令でしかしてもらっていなかった、その状態では彼にエミヤの事を聞くのは不可能です。それに・・・これはアイリスフィールから聞いた事なのですが、彼女にすらキリツグは自分の実家の事を殆ど話さなかったと言います。それ所か実家に帰る事すら一言も口にしなかったのです」
「それって嫌っていたって事?口にするのも嫌なほど」
「そうでもないようです。現にアイリスフィールを妻として娶る時、エミヤの姓を捨てて、アインツベルンの姓に変る事を頑迷なまでに拒絶し、彼女の取り成しを受けて、夫婦別姓で解決したと聞いています」
「そうなの」
もし切嗣が衛宮の姓を嫌っていたならアイリスフィールとの結婚で当に捨てている。
そして士郎に衛宮の姓を与える事など無かっただろう。
「そうなると何か別の理由があったのかしら?」
ここまで秘密の闇に包まれた衛宮の事に凛は逆に興味を持った。
「そこまでは・・・」
アルトリアにしても、どうして切嗣が実家の事に口を噤んでいたのか不明だった。
と、ここでアルトリアが話題を変えた。
「そうそう、リン。シロウからすごいニュースを聞きました」
「ニュース?なによ」
「はいタイガが結婚するそうです」
「へえ藤村先生が・・・って!!!!あの藤村先生が!!!!!」
意味を把握し、凛は絶叫する。
「ど、どういう事よそれ!!それに相手は?」
「相手は柳洞寺のレイカンだと言う事です」
柳洞零観、あの堅物一成の兄にしてあの一成の兄とは思えない豪放の人物。
その人物が、あの大河と結婚すると言うのだ。
「シロウが卒業してから急に親しくなり、先日レイカンからのプロポーズをタイガが受けたのだそうです」
「へえ・・・士郎も卒業したから藤村先生も肩の荷が降りたって事かしら?」
「ですが、相変わらずシロウの家に入り浸っているそうです」
「そう、まあその方が藤村先生らしいけどね・・・そういえばアルトリア、士郎はもう日本に帰ったの?」
「いえ、シロウでしたらシキと『裏七夜』の仕事を行っているはずです」
「そう・・・今度会った時には士郎にも言っておかないとね、バルトメロイには充分注意しろって」
「痛っ!」
「士郎?どうした?」
「いや・・・なんでも・・・」
「またか?」
「・・・ああ」
とある死都にて『裏七夜』の仕事を終わらせ合流した志貴と士郎だったが、小さく漏らした士郎の苦痛の言葉を、志貴が聞き咎める。
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ・・・普通にしていれば大丈夫なんだ。それにエレイシアさんも異常なしって言っているんだし」
「それは・・・確かにそうだが・・・ここ最近痛みの回数増えていないか?」
あからさまに強がりを言う士郎に志貴は半ば本気で気遣う。
それもその筈、『タタリ』との戦闘後に感じた手首の痛みは治まる所か、日が経つに連れて回数と痛みを増していった。
最初は痒みのようなものだったのが、今では関節痛のような鈍い痛みにまで酷くなっている。
しかし、普通の医者は無論、エレイシアやコーバック、更にはゼルレッチにまで診て貰いながら、その原因は未だに不明のままだった。
「確かにな・・・それにしても・・・どうしちまったんだ一体・・・くそっ」
士郎は己の手首を見ながら、疑問とそれに匹敵する怨嗟交じりの声を発していた。
「ともかく戻るか」
「ああ」
言葉少なげに頷く二人だった。
仕事も終わり、更に『六王権』捜索に当たっていたが、収穫は無く、志貴と別れた士郎は休息を兼ねて一旦家に戻る事にした。
戻ってみれば既に夕方で時間としてはちょうど良かった。
「ただいま」
「あっお帰りなさい先輩」
「お疲れ様です、シロウ」
そこでは部活も終わり先に帰宅していた桜が準備の真っ最中だった。
その横ではメドゥーサが補佐に回っている。
春になってからというもの、桜の生活スタイルは完全に衛宮邸が中心となっていた。
月に二回、屋敷の清掃の為、遠坂の屋敷を掃除に帰る以外はここが彼女の家と化している。
そして桜に付き従うのが当然であるメドゥーサもまた、衛宮邸を寝食の場としていた。
「悪い桜遅くなって」
「大丈夫ですよ先輩、これ位の量終わりますから。それに先輩の方こそお疲れ様です志貴さんとのお仕事」
「ああ、別にこれはもう何年も続いている事だから」
そう言って手を振る。
ふと士郎の視線に手首が入り微細だが、表情を歪めた。
死都制圧の仕事が終わり士郎は再びゼルレッチに検査を依頼したのだが、結果は何も異常なし。
おまけに仕事の時はあれほど絶え間なく続いた痛みも、終わる頃には嘘の様に痛みがひいていた。
そしてこの手首の痛みの事は志貴と師匠達以外には誰も言っていない。
本人は無論の事、自分よりはるかに魔術関連の知識が豊富なゼルレッチですら、詳しい事が不明である以上、余計な不安を与えたくないと言う士郎の配慮だった。
「?先輩どうしたんですか?」
「えっ?いやなんでもない。それと藤ねえは?」
「タイガでしたら、今日は仮設した柳洞寺に行っています。何でもレイカンとの結納とかで」
「ああなるほど・・・もう直ぐだもんな、藤ねえの結婚も・・・さて、俺も手伝うか」
そう言った時、どたどたと誰かが走り寄る音が後ろから聞こえそして、
「シロウ!お帰り!」
そんな元気な声と共に背中に柔らかく弾力のある何かが押し付けられた。
「!!!」
それを見た桜の表情が険しくなる。
「あら?サクラ嫉妬?みっともないわよ」
そう言い、不敵に笑うのは銀の髪がまぶしい女性・・・イリヤ。
その小さい身体を最大限使って士郎の背中に自身の体を押し付けていた。
ちなみに、春先からここに居候をしているカレンは居間で我関せずとばかり日本茶を啜っている。
いや、時折此方を見て黒い笑みを浮かべている。
見れば士郎の使い魔であるレイもまた、くすくすと小悪魔そのものといえる笑みを浮かべている。
「お、お嬢様!!なんとはしたない!!」
そう言って来たのは、イリヤの世話役であるセラ。
「エミヤ様も離れて下さい!!お嬢様にそのような振る舞いを!!」
何処をどう見ても士郎には何の非はないように見えるが、それでもセラは士郎の方をより激しく責め立てる。
「セラ嫉妬はみっともない。羨ましければセラもすればいい」
そんなセラにからかっているのかどうかわからない(少なくとも本人には悪意は欠片も存在しない)声で言うのはやはりイリヤの世話役リーゼリット。
「何を言っているのですか!!リーゼリット!!私はお嬢様に不届きな行為に及んでいるエミヤ様に注意を申し上げているだけです!!」
そう反論するセラ。
遂に士郎による積極的な犯行とされてしまい、一方的な断罪を受けた士郎は、慣れた事なのかそれとも諦めたのか、溜息交じりの声をイリヤに掛ける。
「とりあえずイリヤ、少し離れてくれ」
「ええ判ったわシロウ」
そういってイリヤは素直に士郎の背中から離れた。
それからセラを見やるとやれやれとばかりに溜息をつく。
「全くセラも聞き訳がないわね。シロウは近い将来、私の旦那様になるって何度言えば判るのかしら?」
「お言葉を返すようですがエミヤ様は凡百の平民、アインツベルンの後継者たるお嬢様とは雲泥所か、化石と全能の神ほどの差です。とても釣り合わないかと」
「あら、釣り合うかどうかは私が決める事じゃないのかしら?」
そんな言い合いももはやこの家の名物行事と成りつつあった。
それをもはや諦めたような表情で見る士郎と、こめかみを引き攣らせながら見る桜。
そして新たに来たセタンタ、バゼット、メディアそれにヘラクレスは生暖かい視線でそれを見ていた。
ちなみに宗一郎は学校の仕事でまだ帰って来ていない。
「さて、準備のほう手伝うか」
「は、はい!!そうですね!」
士郎の言葉に慌てて我に返る桜。
そして、準備が終わろうとしていた時、その異変は起こった。
「あら?」
「な、何?」
テレビを見ていたカレン、レイが突然妙な声を発した。
「??どうした?二人とも何か妙なニュースでも・・・」
画面を見た士郎の表情がこわばる。
「・・・なんだよ・・・これ・・・」
見れば全員がテレビの画面を凝視していた。
半ば機械的に懐から携帯を取り出し志貴に連絡を取る。
『・・・士郎、見ているか?』
直ぐに出てきた志貴の第一声はいきなりなものだった。
だが、士郎も聞き返す事はせず、答える。
「見ていると言うよりも、全てのチャンネルでこれが出ている。電源を切っても無駄だ」
『そうか、今師匠たちにも連絡を取った』
「向こうでもか?」
『ああ、時差とか地域とか関係なく、全世界同時進行でこれが出ているらしい』
「とりあえず合流しよう」
『判った。ひとまずこれからお前の家に向かうから、主だった奴を集めておいてくれ。『七星館』で今後の事について協議しよう。師匠や教授達もこっちに来る』
「了解」
電話を切ると同時に今度は卓上電話が、けたたましく鳴り響く。
「はい、衛宮・・・姉さん!!」
桜の声で誰が掛けて来たか判った。
「はい・・・ええそうです。ここでも・・・待っていて下さい、先輩とも変わります・・・先輩、姉さんから」
「わかった・・・もしもし」
『士郎?今見ている?』
「ああいやでも見ている。そっちの様子は?」
『こっちでも問答無用で出ているわよ。とは言っても、何がなんだかわからず呆然としているのが大半ね』
「そうか・・・また何か起こったら連絡をくれ」
『ええ』
電話が切れる。
そしてそれを待っていた様にテレビの画面から声が聞こえた。
時を若干戻す。
士郎といったん解散し『七星館』に帰還する志貴を何時ものように『七夫人』が出迎えた。
「志貴ご苦労様」
「ああ、アルクェイド何か俺がいない間に変わった事は?」
「ううん、何にも」
「そうか・・・」
さすがに疲労がやや溜まっているのか疲れたように溜息を吐く。
「志貴、疲労が溜まっているのではありませんか?ここ連日の様に欧州に赴いているみたいですし」
様子を見咎めたシオンが夫を気遣う。
「今日はスタミナがつくものを用意したけど志貴ちゃん食べる?」
「ああ頂くよ琥珀」
台所から顔を出した琥珀に笑顔を向ける。
「で、アルトルージュと翡翠にさつきと秋葉は?」
「四人とも訓練に出ています。志貴の助力に少しでもなりたいとの事で」
「そっか、申し訳ないな・・・」
「志貴が気に病む事ないわよ。皆同じ気持ちなんだから」
アルクェイドの言葉に全員大きく頷く。
「・・・」
妻達への感謝の思いで言葉に詰まる志貴。
「じゃあそろそろ飯にしようか?俺も手伝う」
気を取り直していつもの様に手伝いを行おうとすると一斉に止められた。
「志貴は休んでいてください。夕食の準備は私と琥珀で行いますから」
「そうだよ志貴ちゃん。志貴ちゃんお仕事で疲れているから休んでいて」
「そうそうテレビでも見てのんびりしていて。じゃあ私姉さん達呼んでくるから」
「頼みます、アルクェイド」
阿吽の呼吸で志貴を居間に移動させて座布団に座らせると、てきぱきと夕食の準備や訓練を行っている四夫人。
軽く苦笑しながら座布団に座りなおす。
そこに猫形態のレンが志貴の胡坐をかいた足に乗る。
「ああ、レンただいま」
頭を撫でてやると気持ち良さそうに咽喉を鳴らす。
「はい志貴君」
そのタイミングを見計らった様にお茶を出す朱鷺恵。
「あっ姉さん、すいません姉さんにも気を使わせちゃって」
「良いのよ。私は居候のようなものだしこれ位はしないと」
「そんな気を使わなくても・・・」
苦笑してテレビの画面をつけようとリモコンに手を伸ばす。
だが、その手はリモコンに触れる前に急停止した。
「えっ?」
それを見た瞬間志貴は自分が幻覚を見たのかと錯覚した。
だが、それは隣の朱鷺恵の呆けた表情と
「なに・・・これ・・・」
表情と同じ位、呆然とした声によって否定された。
「!!・・・皆!!至急集合!!」
直ぐに志貴は台所は勿論『七星館』中に響く大声を上げていた。
その声に反応して居間に飛び込んでくる『七夫人』。
「どうしたの!し・・・き?」
代表して尋ねようとしたアルクェイドもテレビ画面を見て絶句する。
他の『六夫人』も似たような状況だった。
そんな中志貴は携帯を取り出し連絡を取る。
「もしもし」
『おお志貴か?こちらからも連絡を取ろうとしていた所だ』
電話越しのゼルレッチの声はやや緊迫に満ちていた。
「師匠・・・と言うと・・・」
断片的な言葉だったがそれで十分だった。
『お前も見ているのだろう?こちらもだ。最も私やコーバックは脳から直接見させられている』
「の、脳から?」
『どの様な原理かは不明だがな。だが、この映像がありとあらゆる手段を用いて全世界中で映し出されているのは間違いない。とにかく状況を把握したら私も蒼崎を連れてそちらに向かう。お前は士郎達を連れて来てくれ』
「判りました」
ゼルレッチとの会話を終わらせると次は士郎に連絡を取る。
「・・・士郎、見ているか?」
繋がると同時に質問から入った志貴だったが士郎も内容を察していた。
『見ていると言うよりも、全てのチャンネルでこれが出ている。電源を切っても無駄だ』
「そうか、今師匠たちにも連絡を取った」
『向こうでもか?』
「ああ、時差とか地域とか関係なく、全世界同時進行でこれが出ているらしい」
『とりあえず合流しよう』
「判った。ひとまずこれからお前の家に向かうから、主だった奴を集めておいてくれ。『七星館』で今後の事について協議しよう。師匠や教授達もこっちに来る」
『了解』
電話を切ると同時にその声が響き渡った。
その声は完全に同時に全世界の人類一人残らず届いた。
そう・・・画面に映る『六王権』が文字通り全世界に向けて宣戦布告を発したのだ。
人類が何の疑問も不安も抱かず、日常を謳歌できた時の終わりが訪れ、殺戮と暗黒の時がここより始まった。
三話へ 一話『黒の書』十へ